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フォーミュラを駆る心理学者のブログ
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毎年同じようなことを悩む自分がいたり。
2010年04月21日 (水) | 編集 |
ちょっと前のツイッターで「授業のやり方に悩む毎日」と書きましたが,
ふと,前にも同じようなことを思っていた事を思い出し,
mixiの過去日記を見てみたら,やっぱりありました・・・(笑)

昔は「とにかくやれ」「習うより慣れろ」と言われて,
権威ある先生から「教わる」慣習がありましたが,
今はもっと自由な目的や自由な好奇心で学ぶことが普通になっていると思います。
このことは,とてもすばらしいことなんじゃないかと思います。

その,それぞれの自由な目的意識や,自由な興味によって
自由に学ぶ所こそが,「高等教育機関」なんじゃないかと思っています。

ところが,やる気の無い学生に,先日思わず,「帰ってもらっていいですよ」って
口に出したんですよね?。
それは下の文中にもあるような,「強制履修制」の専門学校の学生でした。

選択のきかない履修だと,もしかしたら,興味のない科目を受けさせられることになるわけで,
90分,知りたくもないことを延々と聞かされるのは,さぞかし苦痛だろうと同情するところもあります。
でも,きっと勉強すること自体には意識を持っているはずなんですよね。

面白そうだという感じや,もっと知りたいという気持ちを導くことができなかった
力不足を感じる今日この頃です。

上のひとことを言ってから,教室に不穏な空気が流れたのは言うまでもないです・・・(^^;)

むー。


っていうか,マジ疲れた(^^;)
予定していたとおりとはいえ,半期10コマ(+α)はキツイ orz



以下,過去の駄文


タイトル:学生の私語と睡眠 ?教員は学生の「動機づけ」を,どこまで面倒みるべきか

2009年08月05日10:10


こんにちは。悩める黒猫です。
※皆々様,この日記に何か感じるところがあったら,ぜひぜひ,何でもいいのでコメント下さいませm(_ _)m


なんだかんだ言いつつも,専門学校や大学で非常勤講師として授業を担当するようになって3年目になりました。

だいたい同じ授業を何年か繰り返すと,なぜか,その年によって私語の多さや授業中に寝ている学生の人数に差が出くることに気づきます。
不思議です(^^;)
私語と睡眠はどっちかが発生すると,連鎖的にそっちの方向へ傾いていくのかな?w

それはさておき,この私語と睡眠についてはいつも頭を悩まされます。
大学のほうではそれほど顕著ではないのですが,専門学校ではかなり目に付き,自分自身のやる気をかなりそがれてしまっています orz

これについては,大学が教科選択履修制であるのに対して,専門学校が基本的に決められた教科を強制的に履修する制度であるためかもしれないと考えています。
つまりは動機づけ,すなわち「やる気」の問題ですね。
制度的に,選択履修制の方が強い動機づけを持った学生が集まることになりますので,教員としても楽です。

とはいえ,専門学校もそれはそれで(言うまでもなく)立派な教育機関ですし,その具体的な教科内容へはともかく,学習全体へは動機づけを持った学生を相手にする以上,出来る限りのことをするのは当然だとも思います。
ここで,前述の私語や睡眠の話と,この動機づけの話が交差するのです・・・。


自分は基本的に私語を注意することは少ないです。
これには意図があって,ひとつは「注意すること自体に意味が薄い」ことと,「注意することは学生に対して失礼」ということがあります。

先に「?失礼」の方を説明いたしますと,自分が相手にしている学生は高校をきちんと卒業して,その上の高等教育機関に進学してきた方々であるわけで,その方達に対してまるで小学生みたいに「授業は静かに聞きましょうね」なんて言うのは失礼極まりないことだと思っているわけです。
・・・・まあ,学生の皆さんが,ここを高等教育機関だと思ってくれているかどうかは,甚だ疑問ですが・・・(^^;)

で,もう一つの「?意味が薄い」という点ですが,これには2つの側面があります。
ひとつは,「結局,一時的に私語が少なくなったところで学生の動機づけに変化が無いのだから,学習成果に大きな差がない」ということです。
「学び」というのは,どう転んだって,自分の中からわき上がってくるものだと思います。
外部から一方的に与えられる「学び」なんかあり得ないんです。
結局は学生が「ああ,なるほど!そういうことか!」とか「そうか!面白い!」と思った所に「学び」があるのですから,私語を注意している時間というのは無駄以外の何ものでもないと思っています(超理想論。後述)。

もうひとつは,「教室の雰囲気」の点です。
「学び」が自由な知的好奇心に根ざしている以上,教室には,自由に学びを追究できる「雰囲気」が必要です。
教員がイライラして余裕がないようでは到底,その雰囲気をつくり出すことは出来ません。
教員は常に全体と個々を見て,どんな状態なのかフィードバックを得ながら授業を行う必要があるのです。
#この観点から,自分は極力,学生の方に視線を向けながら授業を行っています。


とはいえ,どんな場合でもある一定の割合で動機づけが低い学生がいて,私語や睡眠に走ってしまいます。
特に私語についてはまわりの学生の学習を大きく阻害する要因になりますし,教員にとっても極めて不快な事象です。「雰囲気」の点でも非常に悪いものになってしまいます。
いくら「学び」が内から浮かび上がってくるものだとはいえ,学びの雰囲気が作れなければダメです。

やはり,厳しく注意すべきなんでしょうか・・・


ここで,最終的な悩みポイント。
「教員は学生の動機づけを,どこまで面倒みるべきか」ということが出てきます。
私語をしている学生に「出て行け」と言うのは簡単なんですが,果たして,それで万事解決といえるのでしょうか・・・?
多少なりとも動機づけを持った学生に対して「出て行け」と言ってしまうと,その(わずかな)動機づけ全体を否定してしまうことになるのではないかと・・・。
動機づけをより高めることが出来なかった我々教員の側にも,ある一定の落ち度があったと反省するべきではないでしょうか・・・。

でも,ここは「高等教育機関」なんですよね?(^^;)
そこまで責任を負う必要が,果たしてあるのか・・・。


・・・・まあ,授業妨害である私語に対してだけはもうちょっと厳格に対応した方がいいのかもしれませんね orz
授業の実施とそれへの受講を,「契約」という形でとらえ直すのも良いかもしれません。


長文失礼。
コメント
この記事へのコメント
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このコメントは管理人のみ閲覧できます
2010/04/22(木) 00:48:42 | | #[ 編集]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2010/04/22(木) 01:25:42 | | #[ 編集]
コメントどうもです~。
よく読ませてもらいました。
うーん,やっぱりそうですよねw
まあ,基本的にそういう風にやっているんですけどね・・・。
「契約」っていう表現で,初回授業ではきちんと言っています。
ホント,みんな普通に大人なはずなんだけど・・・。

まあ,がんばります。
2010/04/22(木) 07:43:25 | URL | Kuroneko #mQop/nM.[ 編集]
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